ついつい。

つい思ってしまう、つい考えてしまう。共感してもらえたら嬉しいけれど、押しつけがましくしたくもない。そんなことを書きます。

「推しを作ること」へのためらい

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わたしの推し」というお題について少し考えてみました。

長年、私は「推し」という存在を作ることを避けてきたのかもしれません。

 

私は現在30代半ばですが、思春期の頃には好きになったアーティストなどもいて、CDの発売日を待ち望んでは買いに行ったり、地方から上京してライブを観に行ったりもしました。王道アイドルに目を奪われ、CMで流れたとあるアーティストのデビューシングルに耳を奪われ、そこまで名の知れていないアーティストに心を奪われた時期もあったのです。

しかし大学へ上がる頃にはその当時の熱はどこかへ行ってしまい、そこまでのめり込めるような「推し」に出会うこともいつしかなくなっていました。もちろん当時は「推し」なんて言葉はありませんでしたが(笑)

改めて思い返してみれば、そこから現在に至るまで、明確な「推し」の存在はなかったように思います。

 

2年ほど前、そう、コロナが流行り始める少し前でしたが、当時好きだったアーティストが復活するという情報をTwitterで知りました。20年ほど前に活動を休止してしまい、その頃はSNSなんてなかったですから、その後の個別活動のことなど知る術もありませんでした。今頃彼らはどうしているのだろうと気に掛かり、ふとTwitterで検索してみたのです。すると本当に偶然にも、再結成しました!来月ライブやります!との情報が。これには驚きました。当時一緒に追いかけていた友人にすぐさま連絡し、これは行くしかない!と大盛り上がり。すっかり静まっていた熱が再び溢れてくるのを感じました。

ライブハウスなんてそれこそ20年ぶりですから、心の中は不安と緊張と高揚感が入り混ざっていました。いざ中へ入ると同年代の方々がそわそわと礼儀正しく集まっていて、どこか安堵したのを覚えています。彼らが登場し曲が始まると、当時の盛り上がりとはまた違って、温かく見守るような空気が流れたことも印象的でした。

それからコロナが流行してしまい、ライブに足を運ぶこともできなくなって、そのライブハウスも閉館へと追い込まれてしまいましたが、彼らは活動を続けているようです。

 

ライブだけでなくグッズやCDを購入するのも久しぶりで、とっても満ち足りた経験になりました。ですがやはり当時とは違って、落ち着いた熱であることは紛れもないわけです。

大人になって様々な人やモノ、環境に触れることで、ひとつのことに対して熱中することが少なくなっていくという理由もあるでしょう。仕事を始めてそれどころではなくなっていった、という理由も少なからずあると思います。

私の場合は、のめり込んだら急加速で沼にハマる性質を持っている反面、めんどくさがり、飽きっぽいなど推しを作りづらい性質も持ち合わせている、いわゆる熱しやすく冷めやすいタイプです。そのため、どこまでものめり込んでしまう危うさと、いずれすぐに飽きてしまうだろうという見切りが同時に存在していて、あらかじめ自らストップを掛けている部分もあるのだと思います。

他のアーティストも含め、当時好きになった方々のことは今でも応援しています。一度知ってしまったら相当なことがない限り心変わりすることはないようですし、新たに素敵だなと興味が湧く方が現れると、歴代の自分の趣味との共通点の多さに驚いたりすることもあります。

 

「推し」を追いかけ続けることはとんでもないエネルギーが必要なことだと思っています。純粋にそれが出来ることへの羨ましさは計り知れません。

今回の「推し」復活によって俄かに再燃したその熱は、落ち着いたまま。昨今の事情も伴って、燃え上がることは叶いませんでした。もし、あのまま定期的にライブが開催されていたら、もし、自ら掛けたストッパーを外したら、何か変わっていたのでしょうか。